特別な祝い日〜聖人の祝日   A年  2011年



A 年

特別な祝い日

聖人の祝日


 聖母被昇天の祝日
  
                   聖母の被昇天 2011-8-15 A年  グイノ・ジェラール神父

               黙示11,19a12,1-610ab Tコリント15,20-27aルカ1,39-56

   被昇天という祝日は、永遠の命に生まれたマリアの誕生日です。 この日にあたって聖霊は、既にマリアに与えて下さった全ての恵みに 父なる神ご自身の充満を付け加えて下さいます。

   神の愛の賜物として、洗礼の時に受けた聖霊の恵みは、この世で既に永遠の命で生きることを可能としました。 しかし、地上においてこの永遠の賜物を発展することは、とても難しいです。 そこで、マリアは私たちにとって模範となります。 なぜなら、恵みで満たされていた方にもかかわらず、彼女は 私たちと同じように難しい状況に置かれていました。 救い主の母となる喜びやいとこエリザベトと分かち合った歓喜の後に、マリアは、個人の試練と自分の子イエスに傷つく物事をすべて、心の中で受け止めました。 確かにマリアの心は、苦しみの剣で刺し貫かれていました。 そう言う訳で、マリアは全てのキリスト者の模範です。

   自分自身を「主のはしため」と言った方について、福音家たちはあまり語っていません。 聖ルカは 天使ガブリエルとエリザベトの対話以外に、イエスに言われているただ一つの言葉だけを語っています。 「わが子よ、なぜこんなことをしてくれたのですか?御覧なさい、お父さんもわたしも心配で捜していたのです。」(ルカ2,48) 聖ヨハネは マリアの名を一度も書かず、カナの婚宴の時に、マリアに次のように言わせます。 「ぶどう酒がなくなりました」(ヨハネ2,3)そうして、婚宴の僕たちに言われた言葉は「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」(ヨハネ2,5)今、私たち一人ひとりにも言われている言葉です。

   地上でマリアは、目立たない謙遜な方でした。 地上でそうであったように、天上においても マリアは 私たち一人ひとりを見守って下さる 目立たない謙遜な方です。 神の栄光に包まれても、マリアは ずっと主のはしためとして、十字架上で、愛する子イエスが 自分に委ねた全ての人に対して、絶えず、マリアは配慮下さるのです。 天使の后、諸聖人の后として、マリアは天の国にあっても、自己満足なさいません。 マリアは 神の栄光のうちに、母親の体をもって、地上にいる私たちの信仰と希望を強めるために、私たち一人ひとりの直ぐ傍におられます。 私たちが 心と精神を尽くして、神を愛することを学べるため、マリアは 私たちの傍近くにいて下さいます。 同時に、神の前で執り成しの祈りによって、マリアは 自分の子イエスを迎え入れた人々に 平和と喜びの賜物や聖霊の助けを与えて下さいます。

   天の栄光のうちにマリアは、あらかじめ教会の姿を現しています。 マリアがしたように 教会もこの世に、救い主を与える使命を持っています。 マリアがしたように、教会も神の言葉を受け、自分の心の中でそれを思い巡らす使命を持っています。 マリアがしたように、教会もみ言葉が真理であることを証しながら、キリストと全人類の世話をする責任があります。 マリアのように、教会も 永遠の栄光のうちに上げられる日を私たちは待ち望んでいます。 マリアがエリザベトと出会った時、彼女の心から湧き出た賛美の祈りは、今もなお、教会の貴重な祈りになっています。

  マリアを歓迎して、エリザベトは「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」と宣言しました。 マリアは全ての信じる人の母であるから、見習うべき方であり、愛するべき母でもあります。 マリアの被昇天は、私たちにとって喜びと希望の泉とならなければなりません。 なぜなら、マリアを覆う栄光は、ご自分の子イエスの栄光、そのものだからです。 従って、いつかこの同じ栄光が 私たちを覆うのでしょう。 なぜなら、私たちがイエスを信じて、キリストの命に与っているからです。

   しかし、今日から、マリアを模範にして、私たちが心と体を尽くして、自分たちに対する神の計画を使え、奉仕することを承諾しなければなりません。 また、神が私たちのうちに留まり、私たちも神のうちに留まるように、神の言葉が自分たちの内に実現するのを望まなければなりません。 この目的に目ざして、毎日曜日、私たちは 神の言葉を聞き、キリストの体を受けます。 また、勇気と信頼をもって思いがけない出来事を、マリアと同じように共に、思い巡らす心に受け留めながら 神をじっと見つめることを学びましょう。

   世の初めから、時の終わりまで、神が実現し続ける不思議な業のために、今日、天国において、マリアは全ての天使と聖人と共に、自分のマグニフィカと(賛歌)を歌っています。 私たちの母マリアは、神の忠実について真実を述べる証人です。 「神の愛は代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。」(ルカ150)とマリアは宣言します。 確かに神は忠実であり「自分の約束を忘れることなく」(ルカ1、55)時が満ちれば、それを必ず実現されます。 今こそ、マリアの預言が実現されます。「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう。」(ルカ1、48)ですから、大いに喜びましょう。 私たちが、皆、父と子と聖霊である神の聖性と栄光をのうちに、マリアと共に、永遠に終わらない喜びを味わうように 招かれているからです。 アーメン。



                     
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